NPO法人マザーズドリームは、がん患者が罹患を嘆くのではなく、自分らしく生きていくための後押しをしたい。という想いのもと2020年に立ち上がった。がん患者と共に人生を考え、がんを通してさらなる人間力を養いたいと願い活動している。
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△「NPO法人マザーズドリームの目指すもの」
今回はNPO法人マザーズドリームの牧原啓子代表にお時間をいただき、マザーズドリーム立ち上げの背景をきいた。
先ずは牧原さんのこれまでを振り返りたい。
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唐津で事業スタート。そして福岡へ
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牧原さんは唐津市の生まれ。
大学入学とともに上京し、総理府事務官として執務後、1979年、故郷唐津でジュエリーショップを創業した。事業は順調に成長。順風満帆の事業家人生を歩み始める。
ちょうどその頃、牧原さんは唐津市役所が作成した唐津市の将来展望の資料を目にし、衝撃を受ける。少子高齢化などの影響で30年後の経済を危惧する内容が記されていたからだ。
環境が大きく変わる中、地方都市唐津で小売店を営む牧原さんも「いつかは大きな影響を受けることになるのでは?」と、考え始めるようになった。
一方、国内の小売ビジネスは転換点を迎えていた。1991年の大規模小売店法の改正によって、全国で大型商業施設の開業が相次いでいた。
牧原さんは、福岡市内の複合商業施設開業に伴うイベントでパネラーを務めた経験を振り返る。大型店出店に関して、「地元の商店街が売れなくなる。大型店反対。」という消極的な意見が述べられる中、牧原さんは、
「コバンザメ商法ってあるでしょ!例えば、商店街を通らなければ、大型店に行けないようにするとか。」
「私は大型商業施設のお力を借りて売上げを伸ばしたいと考えています!」とプラス思考で発言し、会場を沸かせたという。
牧原さんはその後拠点を福岡に移す。
しあわせの青い鳥と、がん告知
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「福岡での新店舗の屋号をどうしよう?」。迷っていた牧原さんは、屋号を「青い鳥」に決めた。
牧原さんは小さな頃からたくさんの本を読んできた。メーテルリンクの童話「青い鳥」は幼少期の牧原さんの愛読書。主人公チルチルが帽子に付いているダイヤモンドを回し現れるひかりの精に導かれ「青い鳥」を探す旅が始まる。というストーリーだ。
読み返すと、メーテルリンクのメッセージは「身近な日常こそが幸せ」ということに、改めて気づき、感銘を受けた。
以降、牧原さんの活動テーマは「青い鳥=博愛主義の象徴」になる。
「私たちは、天から特別の使命を受けこの世に誕生し、その使命を一生かかって完成していくことが大切なこと。」牧原さんは語る。
【幸福】はいつだってきみのまわりにいるんだよ。
そして、いっしょにたべたり、ねむったり、めをさましたり、わらったり、うたったりしてるんだよ。
モーリス・メーテルリンク「青い鳥」(1911年ノーベル文学賞を受賞)より
△婚約指輪・結婚指輪&アクセサリー青い鳥 キャナルシテイ博多オーパ地下1階店
その後、牧原さんは乳がんを発症。突然のがん告知にどん底に突き落とされる。
落ち込んだ牧原さんは、定期的に開催される「がん患者会」で罹患者同士が対話できることを知る。誰か寄り添ってくれる人が欲しい。という思いから、いくつものがん患者の会に連絡をしたが「今月は終了した。」という事務的な対応ばかり。諦めずに連絡を取り続け、ようやく参加が叶い出会った会長さんの一言に牧原さんは救われる。
「このがん患者会はがんで亡くなる人は一人もいない。みんな老衰でなくなっている。」牧原さんは勇気をもらい前向きになることができた。
この体験が牧原さんを行動に結びつける大きな原動力となる。
福岡市立小学校で特別授業スタート
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「がんを患ったことは、天命。神様が私にがんをプレゼントしてくれた。」
「今こそ社会に貢献する青い鳥プロジェクトを始める機会。」
前向きな牧原さんらしい考え方だ。
福岡市教育委員会にこの想いが伝わり、博多区の福岡市立小学校で牧原先生による「特別授業」がスタートする。
牧原さんの授業は年に2度行われる。牧原さんは笑顔いっぱいで子供たちに向き合う。
「人と比べない」
「どんな人も色んな可能性を持っている。にも拘らずその可能性を発揮できない理由は、自分の可能性を本気で信じるか信じないかだけの問題。」
「嫌なことを言われても大丈夫。人の言葉を受け入れないようにすればいい。“屁のカッパ!” 」
「心は自分だけのもの。考え方次第でポジティブになる!」
「幸せになる様に、人は生まれてきている。」
「世界を変える創業者たちも一人の人間。アイデアが世界を変える。自分の人生は自分で設計できる!」
「努力の丘に成功の花が咲く。」
「地図は社会、羅針盤は使命・天命。」
などなど・・・
牧原さんの一言一言が、子どもたちの将来を明るく照らす。
特別授業を受けた子どもたちとは、5年後にもう一度会い学びを確認するという想いの込めようだ。
牧原さんの授業が、いかに大事なものであるかは、子どもたちからの感想文や手紙を見ればわかる。また、牧原さんは参加した卒業を迎える子どもたち一人ひとりに手書きのメッセージを贈る。
青い鳥が子どもたちのもとに舞い降りたかのようだ。
△牧原さんの授業を受けた子どもたちから届いた「感謝の手紙」
△新しく出逢った方達に贈るために作成している直筆のしおり。子どもたちには「アイデイアが世界を変える!青い鳥」を贈っている。
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マザーズドリーム設立へ
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このような体験や行動がきっかけとなり、「がん患者だけでなく、メンタル面で支援(寄り添い)を必要とされている人たちみんなを支えるシステムをつくりたい。」という思いでNPO法人マザーズドリームを立ち上げた。
牧原さんは、「養成講座を受講すれば誰でもピアサポーターになれるので、何とかしなければと考えた。」と語る。今、牧原さんは、道徳教育・知育・現場育を修了した独自の「サポートメイト」を養成中。伴走支援の輪を広げていく準備を着々と進めている。
牧原さんは、橘学園を70歳で立ち上げた昭和時代の教育者、土光登美さん(1871-1945)の偉業を例に挙げ、「70歳でも学校を立ち上げることができる。人を育てることに年齢は関係ないんです。」と話す。
マザーズドリームの活動は寄り添いサポート。そこには牧原さんの教育理念、道徳教育がベースとなっている。「人に寄り添うこととは何か。」を考え抜いて、実践してきた牧原さんの言葉はとても尊い。
「日本人の幸福度が世界で一位になるように行動していかないといけない。」
牧原さんは力強く締めくくった。
△NPO法人マザーズドリーム代表 牧原啓子さん
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インタビューを終えて
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牧原さんは取材中、終始笑顔で応じてくれた。
牧原さんのこれまでを振り返り、マザーズドリームに託された想いを知り、がん罹患者のみならず、メンタル面で支援を必要とされている方や、人生に悩む誰しもが牧原さんの“教え”は響く。そう強く感じた。
「牧原さんが背中を押してくれた。牧原さんがいなかったら、今の自分はない。」牧原さんの伴走支援を受けた方の声は力強いものだった。
コロナ禍で喘ぎ続ける今、世界的に「ウェルビーイング(幸福度)」の重要性が叫ばれる中、伴走支援を目指すマザーズドリームの活動を広げることはとても重要だ。
周りに青い鳥を待っている人が必ずいる。
今後もマザーズドリームと牧原さんの活動に注目していきたい。
※冒頭の画像は「青い鳥キャナルシティ博多オーパ地下1階店」のイラストボードの一部分を切り取ったものです。“もののわかる喜び”の他、牧原さんの直筆によるメッセージが散りばめられています。