*M:宮崎 聡彦(みやざき あきひこ)
*J:山下宗孝(ジョニー)
「カレーは家で食べるもんだと思ってました。」
J:宮崎くんの出身地は?
M : 生まれは東京の荻窪すね。
J:育ちは東京?
M:小6から北九州の八幡で育ちました。
J:その頃、遊びに行っていた街は?
M:中学の頃は北九州の黒崎でしたね。黒崎そごうの地下や、当時のトポス周辺に古着屋さんが沢山あったんで。
J:僕が1年くらい黒崎の古着屋さんで働いていた頃と、被ってたかもだよな。
M:前にも話したけど、ちょうどその頃じゃないですかね。
J:黒崎の商店街も賑わってたもんね。
M:高校くらいからは、ストリートファッションが好きになりだして小倉に行ってました。
J:高校の頃には、飲食店で働きたいとか、将来の目標は芽生えてたの?
M:いやぁ、なかったですね。
J:そっか、最初は美容師だったもんね。
M:そうです。高校2年生くらいに見たテレビの影響ですよ。
J:テレビの影響?
M:「シザーズリーグ」って番組を見て、美容師になろうと。
J:懐かしい!カリスマ美容師!
M:その頃に「料理の鉄人」って番組もあったじゃないですか。
J:鹿賀丈史!
M:それで料理人にも憧れは持ってました。
J:オモロイな(笑)
M:でも、高校3年生のころに「ビューティフルライフ」というキムタク主演のドラマがあって。美容師の方が自由な感じだし、洋服も楽しめそうだし、モテそうだったんで美容師に決めたんですよ。
J:お前は全部テレビの影響やんか(笑)
M:そうですよ(爆笑)
J:手に職を付けようと考えてたの?
M:勉強は好きじゃなかったし、大学なんて行きたくなかったから、手に職を付けることは目指しましたね。
J:なるほど。
M:スーツ着て会社に入るなんて、一度も考えたことはなかったです。
J:性格的に、組織に入るタイプじゃないもんね。
M:そこは、あの頃も今も変わらないんでしょうね。
J:じゃ高校を卒業してからは?
M:3年間通信で勉強しながら、美容室にインターンで働かせてもらいました。
J:普通の美容学校には、なんで行かなかったの?
M:単に、落ちたんですよ(笑)
J:そんなに美容学校って落ちるもんなん?
M:誰でも受かるはず、だったのが落ちたんですよ(笑)
J:(笑)
M:その頃は、福岡で一人暮らししたくてしょうがなかったんで、通信教育でもなんでもよかったんです。とりあえず福岡の街で暮らしたかったし、遊びたかったんで。
J:それは、なぜ?
M:ライブも多かったし、洋服の店も多かった。福岡の人の多さや華やかさに憧れてました。
J:なるほど。
M:福岡で暮らしたいとなった時に、飲食業か美容師かで迷いはありました。テレビの影響で美容師に決めました(笑)
J:一応、飲食も頭にはあったんだね。
M:いや、そんなに強くは無かったんです。でも、街の古い洋食屋さんとか中華屋さんなんかに、好きで通ってました。折尾のとくちゃんぽんの店とか、川沿いの安い食堂とか、駄菓子屋の中に鉄板があってお好み焼きを焼いてくれる店とか。味のある飲食店は好きでしたね。
J:その頃から、カレーは食べ歩いたりしてたの?
M:全くですね、食べに行くのはCoCo壱番屋くらいで、カレーは家で食べるもんだと思ってましたもん。
「美容師の爺さんが想像できなくて、飲食をやろうと思った」
J:話は戻るけど、美容師は何年くらいやったの?
M:姪浜と西新の美容室で6年くらいお世話になりましたね。
J:なんで美容師を辞めたの?
M:ちゃんとスタイリストになってそれなりにお客さんも付いてはいたんですが、美容師での将来があまり考えられなくて、少し不安になってたんですよ。
J:カリスマ美容師ブームも終わってるしね。
M:その頃、久しぶりに昔からやってる食堂へ行って、店の爺さんがまだ現役で働いているのを見た時に、美容師が爺さんになっても現役というのが僕には想像できなくて、飲食をやろうと思ったんです。
J:現実を見据えたと。
M:そうですね。もう結婚して子供も生まれてたんで、現実を考え出したんでしょうね。
J:それで、奥さんのお父さんのお店で働くようになったと。
M:そうです。
J:それが25歳くらいだよね。
M:嫁のお父さんが洋食の喫茶レストランをしてたんで、洋食を教えてもらおうと門を叩きました。
J:今は焼きカレーで有名な店だけど、元々は洋食喫茶レストランだったんやね。
M:そうなんです。色々あるメニューの中の一つが焼きカレーでした。
J:焼きカレーからカレー屋につながるのかと思ってたけど、違うんやね。
M:違いますね。どんどん焼きカレーが名物になったらしく、横浜カレーミュージアムに出し始めたりして。
J:横浜カレーミュージアムとか懐かしいなぁ。
M:お義父さんの店は行ったことありました?
J:祇園町のジーパン屋さんで働いている二十歳ぐらいの頃に行ったことあるよ。あの頃から焼きカレーが有名な店な印象やったね。
M:僕が働き出した頃には、焼きカレー屋さんみたいになってましたもん。
J:何年くらい働いたの?
M:30歳くらいまでなんで5年くらいですね。
J:じゃ5年で飲食の基礎を学んだんだ。
M:そうですね。色々な意味で学ばせてもらいました。
J:どんなところ? カレーの作り方とか?
M:う〜ん。横浜カレーミュージアムへ出し始めた時、大量に作るために作り方を変えたんですよね。
J:店を大きくしていく時には、良くあることやね。
M:そうなんです。昔は手間をかけて作ってたんで、本当に美味しかったんですが、大量に作ることを優先していく中で、どうしても味が変わってしまったように感じられて。
J:それはしょうがないよね。
M:その経験は、今の僕のスタイルの反面教師でもあるんですよ。味が変わって、それまで通ってくれていたお客さんの足が遠のくのを感じていましたし。
J:だから、ガラムでは、一食一食、手間をかけて作ってるんだね。
M:この店では途中から、店長をさせてもらいました。テレビの取材があった後は、全国からの観光客が来る、人気店になっていくのを店長として経験させてもらいましたね。
J:いい修行やね。
M:でも、店長やってると、急にバイトが来れなくなったり、社員が辞めるとかあって、人のやりくりが面倒で、自分で店をやる時は一人でやりたいと思いましたね。
J:料理に関しても、働き方に関しても、自分のスタイルをつくっていった時期なんだね。
M:良い勉強になりました。
「『ご飯に合うカレー』を出す店をやりたいと思ってました」
J:店を辞めた後、どんな経緯で「GARAM」を始めたの?
M:まだ働いている時にバイトの子から「面白いカレー屋さんがある」と聞いて、高砂にあった高田さんの「スパイスロード」へ行ったのがきっかけですね。
J:でた!伝説の高田師匠「スパイスロード」
M:あそこの「スパイシーなんだけど欧風カレー」みたいな、なんとも言えない、今まで味わった事なかった感覚のカレーを食べて、カレーに興味が出てきました。その後、筑紫野のアルゼンチン人が営む店にもハマって、休みのたびに無償で手伝わせてもらったりしていました。カレーのベースの作り方やナンの作り方を教えてもらったり、タンドールの火のつけ方を教わったりしてたんです。
J:なるほど。
M:高田さんのカレーは強烈でしたね。一杯600円くらいでラッシー付き。何よりお店の前に行った時の匂いがすごくよかったです。
今のカレー屋さんで「いい匂い」だなと思う店はほとんどないですね。
J:店に近づくだけで汗が吹き出ていてたもんね。
M:地元に帰ると「ガネーシャ」へ行って、荒木さんに色々とヒントをもらってました。
J:今だったらカレー屋さんやりたい人はたくさんいるけど、当時は少なかっただろうな。
M:その頃から、「ご飯に合うカレー」を出す店をやりたいと思ってました。
J:カレーライスね。
M:九州のカレーは、「タージ」後藤さん、「ガネーシャ」荒木さん、「サリー」野々上さんが根付かせてきた文化だと思うんですよね。
J:そこに伝道師の高田さんが現れて、カレーブームが始まったと。
M: 高田さんの店は雰囲気がいいだけじゃなくて、純粋にカレーが美味しかったんです。一気にワシ掴みにされました。休みのたびに行きたくなるっていうね。
J:それで2012年に高砂で「GARAM」をオープンさせることになると。
M:たまたま出てきた物件が高砂でした。「スパイスロード」と近いから高田さんへご挨拶へ行ったら、「頑張って」と後押ししてくれて。
J:だって、僕は高田さんの紹介で「GARAM」を知ったんだから。「スパイスロード」に行った時に、「近所に美味しいカレー屋さんができたから行ってみてよ」って高田さんに言われて。「何なら今日はうちで食べずにそっちに行って」って。(笑)
M:高田さんらしいですね。
J:ほんと、自分の店のように宣伝してた。
M:「TIKI」は「GARAM」の1ヶ月後にオープンして、後に「ダメヤ」も。
J:当時はまだカレーはブームでもなんでもなくて、一部のマニアしか食べてなかったよね。
M:小さいけど強烈なコミュニティでしたね。通りがかりに店に入ったお客さんは、結構残してましたもん。
J:(笑)
M:今でこそスパイスカレーと言われて馴染みはあるんでしょうが、当時は特殊なカレーだったと思いますよ。
J:オープン当初は奥さんと二人でやってたよね。メニューも多くて、食後にプリンやコーヒー、チャイも出していた。
M:それは無かった事にしてください!
J:(爆笑)
M:嫁は、以前カフェとかパン屋で働いていたので、いろいろ出してましたね。
J:ちょっと硬めのプリンね。
M:カラメル苦めのケーキプリンですね。
J:あれは半年くらいかね。
M:そうですね。三男の妊娠がきっかけで嫁が店を離れる事になりました。
J:そかそか。
M:忙しくなってきて、メニューをシンプルにしたいと思っていたので、丁度良かったかも。
J:じゃ無かった事にしときますね(笑)
M:そうしてください(笑)
J:カウンター6席の店で、客に囲まれて一食一食を作っていたら、客の視線を感じたり、緊張したりしないの? 空気感がボクシングのスパーリングみたいだもんな。
M:最初は必死過ぎて感じなかったですね。見られてるとかも気にならないくらい必死でしたよ。前は、ご飯が足りるかとか、あと何人並んでるのかとか、気になってました。今は、ある程度は把握できるようになったんで、並んでくれているお客さんには、行列を途中で切ることなく提供できるようになりました。
J:あんだけ並ばれたらプレッシャーだよね。
M:今は快感でしかないし、並んでない方が拍子抜けしてしまいますよ(笑)
J:さすがっす(笑)
M:また、木曜の夜のスペシャルメニューを再開しようかなと思い出すくらい、余裕が出てきてましたね。
J:それはそれで楽しみやね。
M:皆さん喜んでくれるし。
「正直、自信はありましたね。失敗するなら早い方が良いかなと思ってましたし」
J:カレー屋さんをずっと続けようと思ってるの?
M:いつかは洋食を出す喫茶店をしたいと思ってます。
カレー屋が嫌ということではないんですけど、しっかりとした手作りの美味しい洋食を出すような落ち着ける喫茶店をやってみたいですね。
J:前から言ってるもんね。
J:カレー屋という職業に出会って良かった?
M:良かったですね!
なんだかんだ言ってもカレー屋してから沢山の出会いもありました。全国からたくさんの方々が足を運んでくれていることが、お金よりも大きいですね。お客さんとの距離感が近い店のスタイルなんで、余計にそう思いますよ。
J:たしかに。
M:美容師だったら間口が狭いと思うんです。お客さんとして相手にできるのは、1日で5人くらいじゃないですか。接することができる人の数が、断然多い。わざわざ自分が作る物を食べに来てくれるのは、本当にありがたいとしか言いようがないです。
J:宮崎くんはSNSをしないけれど、人の評判は気にならないの?
M:この店のここがすべてなんで。ここの外でどうこう言われても、僕には気にならないですね。
J:このカウンター6席の店舗物件との出会いも良かったんやね。
M:元々は、もっと広い場所で、いろいろとやりたい事があったんです。釜を置いて、夜はタンドリーチキンとかだしたかった。夜は、おつまみ系のメニュー出してお酒飲ませたかったんですよ。
J:そうか。
M:最初は狭いなと思ったけど、それが結果的に「カレーライスだけの店」になって、お客さんとの距離も近くなりました。
J:この物件だから今のスタイルになったと。
J:結果として、カウンター6席のカレーライス屋さんになったわけだけど、最初から自信はあった?
M:正直、自信はありましたね。開業当時31歳で周りからは若すぎると言われてたけど歳とってやるのも今やるのもどうせ一緒だし、失敗するなら早い方が良いかなと思ってましたし。
J:なるほど。
M:正直、あの頃は色々とカレー屋さんへ食べに行っても、本当に美味しいと思うような店は少なかったし。ただお客さんに、この味がわかってもらえるかな?っていう不安はありましたよ。オープン時はカレーブームでも無かったし。運良く、沢山の人に来てもらえる店になりました。正直ここまでになるとは思ってなかったっていうのが本音ですね。
J:だって、カレーブームが来るとは思わなかったよね。
M:生活さえできたらいいなと思って、やり出したんで。
「僕のカレーは引き算。シンプルに削ぎ落としていく」
J:オープンしてから、影響を受けた方とかはいるの?
M:久留米にあった「サリー」の野々上さんですかね。
J:伝説の!
M:久留米にレストランスタイルの美味しいカレーを出す店があると聞いて、休みの日に食べに行ったのが最初です。最初にトマトスープが出てくるんですが、これが凄く美味しい。メインも美味しくて、カレーは繊細で、ご飯の炊き方が凄く上手で衝撃的でした。
J:僕は、結局行けてないんだよね。
M:何度か通っていると、野々上さんも何度か来店してくれるようになりました。
J:すごい!
M:ある日の営業後に「ちょっといい?」と店に入ってこられたんですよ。お互いに顔はわかっていたんですが、相手が70歳くらいの仙人みたいなカッコいいお爺さんなんで、緊張しまくりでした。
J:そりゃね。
M:その時に2時間くらいカレーについて話をしてくれたんです。
その中で「君のカレーは本当に美味しいよ。でもね、ご飯の炊き加減をもう少しだけ硬くした方が良い、カレーにご飯が負けてる。それだけでカレーも格段に美味しくなるから。」と話をされたんですよ。
あの野々上さんに「美味しい」と言われて、凄く自信になりましたね。野々上さんはもうお亡くなりになりましたけど、本当に貴重な時間だったと思います。
J:先人からの言葉、いい話や。
M:日頃からご飯の炊き加減にはこだわって、寸胴で芯がある炊き方をしているんですけど、野々上さんの言葉は響きましたね。
J:カレーライスへのこだわりよね。
M:今のカレー屋さんは、ビジュアル重視だったりトッピングだったり、足し算をしてる店が多いなと僕は思うんです。写真うつりを気にしたカレーですよね。
J:なるほど。
M:僕のカレーは引き算。シンプルに削ぎ落としていく。
J:お米にもこだわって、親戚が作っているお米を送ってもらったり、カレーだけじゃなくカレーとお米が合わさって初めて成り立つような感じだよな。
M:そこに再度気付かせてくれた野々上さんへは感謝しかないですね。
J:「サリー」は行きたかったなぁ。
M:その野々上さんをお世話した「ガネーシャ」の荒木さんにも日々お世話になってますし、皆さんに可愛がってもらってるなと思ってます。
J:いい話や。
M:たしかに、野々上さんや荒木さん、高田さんのような同業者の方に、僕のカレーを美味しいと言ってもらえるのは、嬉しいんです。何万フォロアーがいるインスタグラマーやブロガーに褒められるより、何倍も嬉しいんですよ。
でも、あえて言うと、僕は、すべては日々のお客さんありきだと思っています。なんだかんだ言ってもお客さんが食べに来てくれているからこそ、自分がやっていることに意味があると思えるし。
J:そうだね。
M:来てくれたお客さんに美味しいと思ってもらえるかどうかが、すべてです。毎日食べても飽きないカレーが、僕の一番のコンセプトです。
J:飽きないカレーね。確かに、食べてる最中にもう一杯食べたくなるもんな。
M:ファーストインパクトはそんなに無いかもしれませんが、「なんか食べたくなるカレー」が僕の目指してるカレーですね。
J:GARAMのメインメニューの「チキンカレー」「キーマカレー」「ガラムカレー」が、宮崎くんが今、表現したいことなの?
M:そうですね。たまに出すスペシャルメニューでは、インドのカレーを意識してます。
今のカレー好きの人達に向けて、たまにイベントで出してますけど、僕も作れるよと言うメッセージみたいなもんです。
J:でも、基本はライスに合う、飽きずに毎日食べれて、もたれないカレーを作り続けたいと。
M:だから欧風カレーとかビーフカレーとかオープン当初は出してましたし。
J:そうだね。
M:だって、インドそんな好きじゃ無いんですよ(笑)
J:(爆笑)
M:でも、まぁカレー屋なんで「一回はインド行っとかないと」と思って、インドへ行ってみたんですよ。スワミさんという元々は「デリー」を支えていた方を紹介してもらったんです。インドに行って一番勉強になったのが、インドでもカレーは一日寝かせるんだと言うことでしたね。
J:本場のインドは作りたてが美味しい、とよく聞くよね。
M:インドに行く前から寝かせたほうが美味しいと思ってたんですが、周りの人たちは作り立てがインド風だと言うので、そうかなと疑問に思ってたんです。
J:(笑)
M:正直なところスワミさんところに行っても、僕には何も勉強する事が無くて。でも、スワミさんがカレーを冷蔵庫で1日寝かして出してたんですね。もう、それが自分の中で疑問に対する答え合わせになったんで行った甲斐があったなと。
J:他に収穫は無し?(笑)
M:だって、朝から晩まで毎日インド料理ばかり食べれないですよ。もうインドには行かないでしょうね(笑)
J: (笑)
M:やっぱ日本の料理が美味しいですよ。出汁文化が最高です。
J:今の福岡のカレーブームを見て、どう思う?
M:ブームに乗っかったイベントが過剰になり過ぎて、ブームが去った後も大丈夫なのか?と思います。イベントがあると、その準備とイベント当日で日々の営業が犠牲になるわけじゃないですか。僕は、日々の営業を楽しみにしてくれているお客さんの方を大事にしたい、と思うんです。
J:せっかく個人営業のカレー屋さんが日の目を浴びて、成り立つような世の中になったんだから、10年、20年と残って欲しいと思うよな。
M:SNSなんかに頼り過ぎてるとダメだと思うし、フォローが多い人に媚び売るより日々のお客さんに感謝した方がいいですよね。
J:ごもっとも。ラーメンの時もそうだったもんね。最近のパンケーキや現在進行形のタピオカもそうだけれど、人は熱狂したら冷めてしまうもの。特に福岡は、昔から言われてるように熱し易く冷めやすいからね。
M:流行りに乗るより、地に足をつけて日々頑張らないとダメだと思って、基本的に取材NGでやってきたのは、正解だったと思ってます。
「福岡のカレー屋のレトルトとして発信したかった」
J:今の成功の理由は何だと思う?
M:成功なんて全然思ってないです、オープン当初からスタンスは変わってないです。お客さんは増えましたけど、明日どうなるかなんてわからないですから。
J:数年前とかオープン時にLINEで「今日は並んでない…不安」とか送ってきてたもんね。
M:店を開けたら絶対にお客さんが来る保証なんてないですからね。昼が忙しくても、夜がどうなるかわからないですし。最近は昼のお客さんを極力断らないように心がけてます。
J:最近は昼を長めに営業してるの?
M:前は、営業時間内に終わるように行列の途中でも断っていたんですけど、最近は並んでいる最後の人までは食べてもらえるように努力しています。やっぱ年月が経って、少し要領が良くなってきたんですかね。
J:少し店の流れに余裕ができはじめたと。
M:最近、お客さんの声を聞いていると、自分が思っている以上に県外からのお客さんが多いんですよ。折角の旅行や休みの時に、お目当の店で食べれなかったらがっかりしますよね。働いてたら忘れがちになるんですが、逆の立場で考えると、僕も旅行へ行き目当ての店で食べれたら、すごく嬉しいと思うんです。
J:ここ数年、福岡への旅行客が多くなって感じたこと?
M:そうですね。ここ数年はなおさら思いますよね。
J:福岡の現状に対応してると。
M:そうですね。ちょっと前までは「観光客相手に商売やってないし」くらいの気持ちでしたけど、福岡の印象が悪くなるのもあれなんで。
J:そんなこと、ちゃんと考えてんの?(笑)
M:当たり前ですよ(笑)
J:なぜレトルトを出したの?
M:自分が作るのと遜色ないくらいの物が出来たからですかね。あと、福岡のカレー屋のレトルトとして発信したかったのもありますね。
J:福岡からの発信とか、そんなこと考えるようになったの(笑)
M:当たり前ですよ(笑)
J:レトルトの評判はどうすか?
M:東京のカレー好きのタレントさんが、「東京のビンダルーのレトルトより、全然美味しかった」と言ってくれたらしいんですが、僕に言わせれば当たり前ですよと。
J:なんか突然の福岡意識やね。
M:めちゃくちゃ福岡推しですよ(笑)今回のレトルトで間口が広がって福岡への興味をもっと持ってくれたら良いですね。カレー屋さんだけじゃなく色々な美味しい店があるから。
J:福岡が良い意味で注目されだして、僕らが行かなくても福岡へ来てもらえる様になったしね、観光だけじゃなく食も楽しめるのが福岡の良いところでもあるし。
M:そこに少なからず貢献できているなら光栄ですね。
J:「GARAM」という店として、言いたいことは?
M:いつ来ても同じ味を提供すること、味を安定させることが、一番難しくて一番大事な事なんで、日々努力してます。
素材によって同じ事していても、味は変わって行くので、味が変わらないように試行錯誤しながら、お客さんには、いつ来ても同じ味を提供し続けたいと思ってますね。
値段を上げた方がいい、と言われることも多いんですが、僕はカレーって「デイリーな庶民の食べ物」と思ってるんで、今の価格帯でやり続けたいなと思ってます。
日々店にお客さんが来てくれてナンボなんで、僕はお客さんが無理しないくらいの価格帯でしか考えてないですね。
今回の増税でもまだ据え置きで大丈夫だと思ってますし。
J:宮崎くんにとって幸せに生きるってどんなこと?
M:最近思うのは何気無い日常を過ごせることかな。特別な事が起こったりするより、悪い事も起きず日々の営業が続けられる事ですかね。何気無いルーティンを、同じようにできるって事が幸せかと。大金儲けるとかではなくて、健康で毎日普通の事を普通に過ごせる事。
毎日店を開けられるのも当たり前じゃ無いなと思うし。健康でないと開けれない訳で。
たまに面白い事があったらそれが最高だと思う。
J:たまの面白い事はギフトやね。
M:毎日良いことなんてある訳ないし、悪い事があったら次は良い事があるんじゃないかと思うし、それの繰り返しですよね。ほんとに普通が一番だと、悪い事があっても乗り越えようと思うし。
J:ほんとそうやね。
M:日々の普通の事が普通に出来ることが僕にとっての幸せですね。
J:今日は休みの日に長々と時間をもらってありがとうございました!
じゃ!キーマ3辛ポテトアチャール全部のせで!
M:だから今日は休みですって!!
(話を終えて)
彼と知り合って長くなりましたが、店の成長と共に、人としても成長しているなと感じました。
幼少期はヤンチャだった青年が、自分の作る物を評価される喜びを覚えて、それに応えようと日々遅くまで店の片付けや仕込みをして、いろいろと見えないところで努力をしているのを僕は知っているので、尚更そう思います。
八幡から福岡の街への憧れを抱き、美容師を経て飲食の道へ入り、師匠といえる先人達の温かい言葉を胸に、自分のスタイルで一杯ずつカレーを、ていねいに作り続ける。
カレーって、美味しくなく作る方が難しいくらいシンプルな料理だと思うのですが、宮崎くんのカレーライスが特別においしいのは、彼のセンスが特別に発揮される料理なんでしょうね。
営業中は一人で全部こなしているので愛想がない様に見えますが、とても気さくで、真面目で、でも言いたい事はハッキリ伝える、今時珍しい青年だと僕は思う。
これからも自信を持って、福岡のカレー界を引っ張って行く存在であり続けて欲しいな。
群れる事なく一人でコツコツとやって来た努力が花咲こうとしている、高砂にある小さな「GARAM」という花壇を、僕はずっと見守って行きたい。お客さんが水や肥料となって、彼を成長させてくれていることを彼自身が一番理解しているからこそ、日々努力し、感謝しているのだと思う。
僕は、そんな彼が作る美味しいカレーライスを、いつまでも食べに行きたいなと思います。
同じ様に子供を3人持つ父としてこれからもお互い頑張りましょう。
また酔って馬鹿騒ぎしましょうね!
宮崎くん、今日はありがとうございました。
山下宗孝