45年間、品種改良され続けた“最強のハエ”で
世界の食糧危機に立ち向かう九州のスタートアップ(後編)
ロシアの研究者たちの夢を引き継いだ、ひとりの日本人
旧ソ連で何十年にもわたり研究が続けられていたイエバエによるバイオリサイクル。しかし、1991年のソビエト連邦崩壊により、国からの研究費がストップし、イエバエの研究を含むさまざまな研究が、道半ばにして中断されました。
「旧ソ連には共産圏だからこそ続けてこられたような、想像を絶するような開発・研究が山のようにあります。そうした“ダイヤの原石”に目をつけたのが、宮崎でバイオテクノロジー企業を経営していた小林一年という人。イエバエの研究に限りない未来を確信した彼は、その権利を90年代初頭に買い取り、日本国内で研究を続けることにしたのです」(串間さん)
小林一年さんという方は、言うなれば串間さんの“師匠”にあたる人物。小林さんは食料問題や地球環境問題、エネルギー問題などを解決することを目的に1993年に「株式会社フィールド」を立ち上げ、ソ連崩壊後から頻繁にロシア通いをスタート。現地で見つけた驚くべき研究や技術を日本に持ち帰り、環境やエネルギー循環を考えた“究極のまちづくり”を実現するため研究を続けていました。
「ソ連崩壊後のロシアには、日本やアメリカでは研究されていないような基礎研究やユニークな技術が、把握できている数だけでも1,000件以上あります。国家予算で進めていた研究が突如として止まり、失業状態にあったロシアの優秀な研究者たちは、研究をノウハウごと売り出していたんですよ。小林は早くからソ連崩壊後のロシアに目をつけていたので、ロシアの研究者たちとのパイプは相当なもの。実際、小林がロシアに出張に行くたびに、科学者が列をなすような状態が続いたんです」(串間さん)
60年代の旧ソ連で始まったイエバエの品種改良とバイオリサイクル研究。その後、宮崎を拠点とする「株式会社フィールド」の小林さんが引き継ぎ、そのバトンを引き継いだ串間さんが “最強のイエバエ”によるバイオリサイクルを、今、ここ九州で実用化しようとしているのです。
「宮崎から、世界の食糧危機を解決してみせる」
MUSCAは、株式会社フィールドの事業から、それぞれの専門性を高めるために分社化し、串間さんを代表として設立した会社。串間さん自身が、思い入れのあるこの事業を自ら進めていける環境が整いましたが、最初のうちは出資が思うように決まらず、苦労したと言います。
「何年も前からすでに、有名企業数社が『興味がある』と言って出資の打診が来ていたんです。しかし、なかなか最終決定が下りない。昆虫、ましてやハエというイメージの悪さが懸念された面もありますし、何より世界初のビジネスですから、リスクを取るのに二の足を踏まれてしまったのかもしれない。ビジネスモデルには自信があったので当初はどんなに出資を断られても、楽観視していたんですが……。そこからが本当に苦しかったですね。イエバエの維持には毎月数百万円の餌代がかかるので、貯金も使い果たして、親兄弟から借金までして。あわや、自宅の電気も止められるか、というところまで行きましたが、もしうちの電気が止まっても、イエバエの飼育器の電気だけは止めてないけない。そう思いながら、這いつくばって事業を続けてきました」(串間さん)
転機が訪れたのは、2016年。福岡でスタートアップへの投資やインキュベーション施設の運営を行うある人物との出会いでした。串間さんは、この特異すぎるビジネスモデルと困窮した現状を洗いざらいぶちまけたといいます。すると投資家は、串間さんのイエバエにかける熱意と、このビジネスの限りない可能性に心を揺さぶられ、すぐに出資を決定。こうして資金面の問題が解決すると、ビジネスもうまく回るようになり、徐々にムスカの事業に対する「イメージ」も変化し始めます。
この頃から大企業も出資に本腰を入れ始め、ついには大型の資金調達にも成功。現在は、研究開発拠点を地元・宮崎に置きながら、1号機の幼虫プラント建設を計画中だそうです。これがうまくいけば、その後も順次、自社プラントを拡大していく……のかと思いきや、2号機以降はサブリースという形をとる予定だとか。それは、なぜなのでしょうか?
「大切なのは、プラントの普及速度を速めることで、食糧危機の解決になるべく早く向かうこと。自社プラントで全て進めたほうが、利益率はもちろん高いんですが、その分、成長速度は鈍る。だから、サブリースという形にして、太陽光発電以上に利回りの良い投資物件にすることで、オーナーに安定した収益を配分し、ビジネスの力で急拡大することを狙っているんです。自社の利益も大事ですが、結果的には食料自給率の向上を通じて飢餓人口の減少につなげることが、我々の企業理念ですから」(串間さん)
ソ連の崩壊により、埋もれていった数々の研究の中から光る原石を見つけ出し、半世紀の時を経て今、脚光をあびるMUSCAのプロジェクト。串間さんは、人生をかけたチャレンジについて、最後にこう決意を聞かせてくれました。
「私はもともと理系の出身で、研究者タイプ。ビジネスの才があるかどうかは、今でもわかりません。ただ、このイエバエの技術が、人類にとって必ず意義のあるものだということは、直感的にわかったんです。ロシアの研究者たちが長年手を尽くし、宮崎で小林という稀有な起業家が引き継いだ人類の財産。これを、自分が終わらせてしまうわけにはいかない。宮崎から、世界の食糧危機を解決してみせる。そんな思いで、これからも取り組んでいきます」