45年間、品種改良され続けた“最強のハエ”で
世界の食糧危機に立ち向かう九州のスタートアップ(前編)
国連世界食糧計画(WFP)や国連食糧農業機関(FAO)などが2018年9月に発表した報告によると、世界で飢えに苦しむ人の数は2017年現在で8億2100万人にも上り、なお増加傾向にあるといいます。国連サミットで採択された持続可能な開発目標「SDGs(Sustainable Development Goals)」でも、「飢餓をゼロに」することは2番目のゴールとして掲げられており、食糧危機は地球人としての最大の課題のひとつと言えるでしょう。
そんな中、九州からその解決を志し、事業化を推し進めているスタートアップがあります。株式会社MUSCA(ムスカ)——社名はイエバエの学名「ムスカ・ドメスティカ」から。ハエの力で世界の食糧危機を救うという、規格外のミッションを掲げるスタートアップです。
今回は、MUSCA代表の串間充崇(くしま・みつたか)さんにインタビュー。このユニークな事業なモデルについて、着想から展望までをお聞きしました。
強い遺伝子を掛け合わせ続けて生まれた最強のハエ
「我々の強みは、45年間1100世代も品種改良し続けた“最強のイエバエ”を持っていること。そしてそのイエバエが世界の食糧危機を救ってくれるポテンシャルを持っている、というわけです」(串間さん)
串間さんは、MUSCAの強みを一言でそう説明します。最強のイエバエとはいったいどんなもので、それが食糧危機にどう貢献するのでしょうか?
串間さんは続けます。
「このイエバエの何がすごいのか。それは、イエバエが持つ糞尿の分解処理能力です。豚や牛、鶏の糞尿にこのイエバエの卵を撒いて、一週間放置する。それだけで、養殖や畜産にぴったりの質の高い飼料と、農業向けの肥料を、無駄なく同時に生産することができます」(串間さん)
世界の産業廃棄物市場は、人口増加とともに急増傾向にあり、2018年には2兆米ドル、2035年には3兆米ドルまで膨れ上がると予想されております。また飼料や肥料の市場も拡大傾向に。こうした市況下で、将来的に市場に大きなインパクトを与える可能性を、MUSCAのシステムは有しています。すでに50社以上のメディアから取材され、2018年には日本最大級のアグリテックイベント「AG/SUM」のスタートアップピッチランにて「みずほ賞」も受賞。国内外から、大きな注目を集めているのです。
最強のイエバエ ルーツは旧ソ連の国家プロジェクトにあった
そもそもなぜ、新興の小さな企業が45年間1100世代も品種改良し続けた“最強のイエバエ”を持っているのでしょうか。
そう聞くと、串間さんは眼鏡の奥の目を光らせながら、こう説明します。
「最強のイエバエは、ロシアの研究者たちが大切に育て上げてきたものでした。話は冷戦時代の旧ソ連にさかのぼります。米ソ冷戦時代、宇宙開発や軍事開発で、東西陣営のどちらが先んじるか、熾烈な争いが繰り広げられていました。旧ソ連は60年代に『マルス計画』という火星への有人宇宙飛行計画を策定し、国家の威信をかけて計画を遂行。その中での課題のひとつが、宇宙船内でのバイオリサイクルでした」(串間さん)
「マルス計画」では、宇宙飛行船の中で約4年間の滞在が必要となり、宇宙飛行士が必要とする食料や水を4年分積み込むのは現実的ではありませんでした。そこで、宇宙船内で出される廃棄物をいかにして効率的に取り出して資源に変えるかの研究が行われるように。
「宇宙飛行士の糞尿からタンパク質を抽出し、宇宙食に変えることで、宇宙船内での循環を目指しました。その後、旧ソ連の優秀な科学者たちが世界中の微生物や昆虫などを逐一調査した結果、たどり着いたのがイエバエだったのです」(串間さん)
有機廃棄物にイエバエの卵を混ぜて放置すると、イエバエが幼虫となり、他方、イエバエが出した排泄物が残されます。幼虫は養殖や畜産むけの飼料となり、排泄物は農家向けの肥料に。また廃棄物内の窒素は幼虫が分解するため汚染物質も出ず、ガスや汚臭も発生しないそうです。
ただし実用化までにはクリアすべきハードルがありました。宇宙船内という限られた空間でバイオリサイクルをしていくためには、自然環境ではありえないような密度の高い空間で飼育することになります。しかし、そのような環境でイエバエを飼育すると、ストレスによって卵を産まなくなったり、死んでしまったりするといいます。
「実際に運用していくには、ストレス耐性の強いハエが必要だったんです。そこで、ロシアの研究者は、卵をたくさん産み、ストレスに強く、より早く太る個体と個体を掛け合わせることで、強い遺伝子を残す研究を長年に渡り行ってきました。それを1100世代にわたって繰り返して、“最強のハエ”を作り上げたのです」(串間さん)
旧ソ連で冷戦時代から秘密裏に開発が続けられてきた、最強の遺伝子を持つイエバエの研究。しかし、1991年にソビエト連邦の崩壊により、マルス計画も白紙となり、イエバエの研究を含むさまざまな研究が、道半ばにして中断されることになります。
あの時、四半世紀以上の時を経て、ここ日本でその研究が実を結ぼうとしているなんてことは、誰も想像すらしていなかったでしょう(後編に続く)。