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  • KYUSHU-ZINE 03  「自分のモチベーションは全てスケボーで左右されている。」

vol.15OLLIオーナー
奥脇 賢二さん

18歳で福岡の古着店でアルバイトをはじめて以来、福岡の街と共に生き、福岡のカルチャーシーンに深く関わってきた、ジョニーこと山下宗孝。
KYUSHU-ZINEは、そんなジョニーが九州で活躍する様々なジャンルの友人をゲストとして招き、普段は語らないあんな話やこんな話を聞く、トーク・セッション。

今回は第三回目。ゲストは、世界を股にかけるスケートボーダーでスケボーショップ「OLLI」のオーナー奥脇賢二氏。熊本「OLLI」にて。

J:山下宗孝 (ジョニー)

O:奥脇賢二 (ジュリー)

 

「今では自分でも「スケートオタク」って自負してます。」

J:ジュリーの出身は熊本?

O:熊本県植木町す、スイカの名産地と温泉で有名な。

J:生まれも育ちも熊本なんやね。スケボーはいつから始めたの?

O:中学1年生から植木町でスケボー始めましたよ。

J:植木町でスケボーを始めたきっかけは?

O:中学1年生の時に中学3年の先輩達がやってたんですよ。

J:先輩の影響なんやね。

O:俺が中学1年生の時に植木町の「ウエッキー」というデパートの屋上でスケボーの大会が8月に開催されてたんですよ、そのイベントがキッカケですかね。

J:ただでさえスケボーのカルチャーなんて当時は知る事も難しかった筈なのに、何故大会を開催出来てたんやろ?

O:俺もわからないんですよ、先輩達がスケボーやっていたのは知っていたけど、そのルーツはわからないんです。

J:その大会を観に行ったのがスケボーにのめり込むきっかけになったんやね。

O:当時の僕には衝撃でしたね!先輩達のおかげです。

J:熊本の街にもスケーターは居たんだよね?

O:街中にも5、6人は居ましたよ、シャワー通りなんかで滑っていた人達が。

J:植木町と街中のスケーターで交流しながら遊んでたの?それとも敵対してたの?

O:お互いに行き来しながら一緒に滑ってましたよ、街のスケーターの人達が上手かったから憧れてましたね。

J:そうなんだ。

O:それで街のスケーターの人達と一緒に滑りたかったから中学生の頃から街に滑りに行ってました。

J:街に出るきっかけはスケボーだったんだね。

O:まさにそうですね、スケボーやってなかったら中学生から街に出てなかったでしょうね。

J:そこに音楽やカルチャーがあったと。

O:中学生の頃はスケボー滑りたいだけだったんで、音楽とかにはあまり興味無かったんですけど、先輩が観せてくれたスケボーのビデオにはまってカルチャー、音楽に興味を持ち始めましたね。

J:そのスケボービデオは国内のやつ?

O:いやいや、アメリカのビデオです。

J:僕らが中学生の頃に海外のパンクバンドのビデオ観てたのと一緒やね。

O:そうですよ、でも僕の家にはビデオデッキが無かったから友達の家で観てたんですよね。

J:なんか想像できるね。

O:でも中学3年生くらいになったら植木町のスケーター達が居なくなったんです。

まぁ一時のブームだった感じで皆んなやめてしまったすね。

J:なるほど、先輩達が始めたコミュニティだったんだけど、ジュリーが中学卒業する頃にはほとんど居なくなったと。

O:そうなんですよ、中学卒業する頃には僕と二人くらいの友達だけになってましたね。

J:街の方で盛り上がったからとかじゃなくて?

O:じゃ無いんですよ、植木町の友達は皆んな滑らなくなっただけで街の人達と滑るしかなくて街に出て行ったすね。

J:他の遊び事が沢山あった時期だもんね。

O:でも俺はスケボーが好きで上手くなりたかったから滑ってました。

そしたら、知り合いから「スケートオタク」って言われるようになって嫌でしたね〜(笑)

J:(笑笑)

O:中学生でオタクって言われるのが嫌で仕方なかったっすよ。

当時はオタクと言えば「宅八郎」って気持ち悪いキャラクターのイメージだったし。

J:懐かしいな〜(笑)

O:今では自分でも「スケートオタク」って自負してますけどね(笑)

J:その頃からあだ名はジュリー?

O:中学1年生の頃に街でスケボーしに来てた頃に憧れてた先輩がつけてくれましたね。

なんか嬉しかったですよ。

J:お互いジョニーとジュリー歴が長いね(笑)

 

O:高校行くのも街中でスケボーする為に街に近い公立高校へ行く勉強を頑張って合格したんです。

J:スケボーがモチベーションで勉強までしっかりやったとか偉いね。

O:高校行ってからは毎日下校時に着替えだけカバンに入れて、行きつけのスケボーショップに預けてあったスケボーで滑ってたんですよ。

そして、俺が高校1.2年生の頃に街中に「辛島公園」が出来てスケーター皆んなでたまって滑ってたんです。

J:「辛島公園」って福岡でいう「警固公園」みたいな感じ?

O:そうです、熊本のスケーターの聖地というか、やっとホームが出来た感じでした。

J:カルチャーの始まりやね。

O:そうだったんですけど、1週間もしないうちに「スケボー禁止」の張り紙が貼られて、警察が来たら逃げたりしてました(笑)

J:あらら、公共でスケボー滑れる場所が無かったんだね。

O:そうなんですよ、スケーターも数人だったんで滑れるところ見つけては怒られて、また場所を探すを繰り返してたんです。

でも、当時は暴走族とかヤンキーに比べたら俺らなんて可愛いもんだったと思いますよ。

 

J:いつから洋服屋で働き出したの?

O:高校卒業してガソリンスタンドでバイトしてたら、スケーターの先輩が後輩スケーターを「オクトパスアーミー」っていう古着と雑貨の店へ誘ってくれてたんですよ。

それで1年くらい働いてたら、当時行きつけのスケートショップ「JUNGLE」から声がかかってスケボーショップで14年くらい働く事になりました。

今は閉店してしまってますけどお世話になりましたね。

J:僕がジュリーと知り合ったのも「JUNGLE」と仕事で取引あったからだもんね。

もう10年以上はなるよな、懐かしいね。

O:そうですよね〜。

 

J:ところで熊本の街の流れを教えてよ。

O:うぁ〜俺はスケボーばっかりして来たからなぁ〜。

あんまり周りを見てなかったですね、でも自分で店やり始めてここ10年くらいで気にする様にはなりましたけどね。

それまではスケボービデオを作る、スケボーするしか考えてなかったです (笑)

J:スケボーしながらどうやって食って行くかみたいなね。

O:そうですよ、先輩達が怖かったから関わりたく無かったのはあったですかね(笑)

今は先輩達も丸くなって仲良くやってますけど(笑)

J:どこの街も一緒なんやろうね。

O:でも熊本はアーケードに活気があるから街が元気な様に見えますよ。

J:そうやね、長いアーケードがある街はアーケード中心に独特な文化があるもんね、市電が走っている街にはアーケードがあって街の作りが似てるよね、アーケードって横の百貨店だなぁと思うよ。

O:そうです、そうですね。

重要文化財早川倉庫「酒―とボード」イベント

「それぞれが家族を守るのに必死でした。」

J:数年前に地震があったけど大変だったやろ?

O:大変でしたね、それぞれが家族を守るのに必死でした。2週間くらいは商売どころじゃ無かったですね。

地震から3、4日して店を開けて皆んなのコミュニティースペースにしました、店に来たら誰かに会える安心感があったと思いますよ。

ただ店にたむろするだけじゃなくて、近所の炊き出しを皆んなで手伝ったりして、言い方悪いかもですが良い経験になりました。

J:そうかぁ。

O:地震で街のクラブが無くなったんですよ、機材の故障とか店が倒壊したりして。

やっと去年くらいから新しいクラブが出来て来て遊び場が戻って来た感じです。

J:そうかぁ、街のカルチャーが一時期止まったんだね。

 

O:それこそ、地震の前からスケートパークを作ろうと皆んなで動いてたんですが、ある日地元TV関係の方が僕らの動きに共感してくれて「なぜ辛島公園でスケボーを滑ってはいけないのか?」という僕らの意見が元のテーマで取材をして10分くらいに編集された映像が地元のTVで流れる予定だったんですが、放送の前日に地震が来ちゃってお蔵入りになってがっかりしましたね。

そりゃスケボーパークどころじゃなくなったんでしょうがないですけど。

J:そうだったんだね、公共のスケートパークを熊本の街に作るのはジュリー達の夢だもんね。

O:その一環で最近は色々な所でスケボーのイベントをやってます。

ありがたい事に声かけてもらって、最近だと桜町の祭りにスケートランプ作ったりして良い意味でのアピールが出来てるかなと思ってるっす。

J:ジュリーのインスタで最近の活動見てて良い方向に行く様な動きしてるなと思ってるよ。

O:ありがとうございます。

J:言っても書面とかより一般の方々が集まる祭りやイベントで実際にスケートしてる姿を魅せるのが一番説得力あると思うもん。

O:そうなんですよ、街の外れにある重要文化財の早川倉庫っていう所で「酒−トボ-ド」って大人向けのイベントもやってますし、凄く反響があって来年もやれそうなんで嬉しいですね。

J:良い活動やね、楽しんでる姿を見せるのは一番説得力あるからどんどんやって欲しいなと思うよ。その活動がスケートパークを作る事に繋がったら良いよね。

O:頑張りますよ!

 

「俺の店に子供が親を連れてスケボーを買いに来る時代」

J:ちょっと前に熊本県の外国人向け観光PR動画にナビゲーターとして出演してたよね。

あんな動きも凄く良いと思ったよ。

O:そうなんですよ、たまたま声かけてもらって出演させてもらいました。

J:行政がスケボーを禁止してるのに、スケボーで街中を滑りながら街を案内して行く動画とか、行政に認めてもらうきっかけになる様な気がするよ。

O:あの撮影は色々と許可を取りながらやらせてもらったんで大変でしたけど、街の皆さんの協力で出来上がって、再生回数も200万回以上になったんで出演した甲斐があったなと思ってます。

 

https://youtu.be/GyTQcyvgnVg

熊本観光PR動画「FIRED UP KUMAMOTO:Streets」

 

J:昔ならジュリーに声掛からなかっただろうけど、今の時代というかジュリーの活動の結果で良い方向へ向かってるなと本当に思いますよ。

O:そうですかね? 熊本に少しでも貢献できてると思うと嬉しいです。

J:ちゃんと熊本のことを考え出したね、大人になったな。

O:(笑笑)

J:大事だよ。

O:俺の店に子供が親を連れてスケボーを買いに来る時代なんで。

J:良いことやん。

O:今、色々な意味で店の間口を広げる事に努力してます。

J:ストリートの人間だけでは商売は続けられないし、マスの人間だけでは流行り廃りを追わなくちゃいけないもどかしさはあるよね。

O:そうなんです。最近はスケボーのスクールをやらないのか?って色々な人から言われてるんですけど、俺はスクールやるんだったらオリンピック競技としてのスクールじゃなくて、俺流の楽しむスケボー、俺流のスケボーの楽しみ方を教えたいっていうのが大きいからスクールをやる事に抵抗があるんですよ。

J:ジュリーがずっと開催してる「JUNGLE TOUR」って各県でやってるスケボーイベントはスクールじゃ無いの?

O:あれはスクールじゃ無くて、参加したら無料で一緒に滑れるし教えてもらえるから楽しいよって形です。

J:スケボーに触れるきっかけ作りね。

O:そうです、そうです。人と人を繋ぐ事が根本にあるイベントなんですよ。

気付いたら15年くらいやってるっすね。

J:スクールを定期的に開催してないのは熊本の近場にスケボーを出来る環境が無いから?

O:そうなんですよ。桜町のイベントでランプ作ってやらせてもらった時なんか、子供達が150人近く参加してくれて楽しんでくれたんですけど、親子さん達から参加した子供達は次どこでスケボーしたり、教えてもらったりできるんですか?って問い合わせが多くて困りましたね。

スケートパークは郊外しかないので、親が車で連れていける環境じゃないと行けない、子供達がやりたくても出来ない環境なんですよ。

J:福岡も市内じゃ無くて郊外しかないもんな。

O:結局、子供達がスケボーに興味を持ってくれて上手くなりたいとか思っても出来る場所が無いから続かないんですよね。

J:習い事の一環としてスケボーが出来る環境があれば競技人口も増えるだろうな。

O:スケボーがオリンピック種目のスポーツとして認められたのに滑る場所が無い状況なんです。

J:全国を見たらスケートパークが増えてて、競技人口も増えてるよね?

O:そうなんですよ。スクールなんかも沢山してるし、関東や大阪なんか文化として定着して来だしてますよ。

J:そろそろジュリーもスクールを始めたら良いやん?

O:やるならスポーツ競技としてじゃ無くて、スケボーを楽しむ子供達を増やすようなスクールをやりたいなと最近想い出しました。

J:熊本の市内近郊にスケートパークが出来たら良いね。

O:そろそろ行政の方々に興味を持ってもらえたら良いな。

J:もうストリートで肩肘張ってトンがってる時代じゃ無いしね。

O:そう思います。そろそろ何か形になればなって。

J:ストリートの人間のセンスやバイタリティ、パワーは凄いからね、そろそろ行政の方々にも気付いて欲しいよね。

O:今までが今までだったんでしょうがない部分はあるんですけど(笑)

J:わかるわかる(笑) でも数年後に熊本出身のスケーターがオリンピックでメダルなんか取ったらすぐ動くだろうね。

O:そうでしょうね(笑)

J:全国でスケボーが認知されてる街はあるの?

O:俺は北九州、名古屋とかはそう感じますね、名古屋なんか街のど真ん中にパークがありますしね。

J:改めてスケートボードがオリンピック種目になったことについてジュリーの意見、感想を聞かせてよ。

O:最初は今まで自分達がストリートでやってきた事が変な方向にいくんじゃないかって思いましたね、別物に変わってしまうんじゃないかと。

今でも仲間の中には競技のスケボーに共感してない人間もいますよ。

でも、子供達が競技としてのスケボーに興味を持ってくれるのは全然良いと思いますね。

まずスケボーに触れて滑って初めて良さがわかるからですね。

競技じゃ無くて俺らみたいなストリートのスケーターに憧れる人間も出てくるでしょうから、入口としてはすごく大きな意味があるんじゃないかと思います。

J:クラブが規制されて遊び難くなったのと同じで、ストリーの遊びは昔のままでは出来ない時代になって、社会の流れとして最低限のルールが必要とされる時代だから競技として認知されることは良い事だよね。

ラグビーみたいに公共のTVで競技として放映されるのは大きいよね。

O:そういう事ですよね。

個人的にはオリンピックで競技としてのスケボーも見て見たいんで楽しみにしてますよ。

J:メダルを取る可能性も十分あると思うんで、国内のスケボー業界には大きな転換期になる可能性しかないよね。

子ども向けスケボーイベントの様子

子ども向けスケボーイベントの様子

 

「今は街中に子供達が滑れるスケートパークを作りたい」

O:スケボーするって、昔のボクシングみたいに若い子達の抑止力になっていると思ってるんですよ。

J:昔は喧嘩ばかりしてた若い子にボクシングをさせてチャンピオンになった話とかあるもんね。

O:フラストレーションが溜まってる若い子にルールのあるスポーツでハマらせて発散させるってあるじゃないですか、スケボーもそうなんですよ。

J:なるほどなぁ。

O:グアムに行った時に街から離れた所に、街が運営してるパークがあったんですよ、そこは24時間ライトも付いてて24時間誰でもスケボーできるんです。

俺らが夜行っても悪い奴なんて全然居なくて、健全なスポーツとして年齢問わず滑ってるんですよね、スケボーで秩序が保たれてるなと思ったんです。

昔からスケートショップはある意味学校的なところで、親や先生の言葉を聞かない道を外れそうな子達に俺らが教えてあげるというか、話を聞いてあげたりしてますしね。

J:スケボーがうまく滑れるようになったりする喜びも感じるだろうしね。

O:スケボーは自分でやりたい時にどこでも出来るからですね。

J:没頭出来るもんね。

O:パワーだけはあるから発散する手段としてスケボーにハマって行くっていうか。

J:今の時代は行動よりパソコンやスマホだけで生きて行ってる子の方が多いと思うしね。

O:そうです、身体を動かす喜びもスケボーから感じれるんで。

J:オリンピックで日本人がメダルを獲ったりしたら行政が勝手に動き出す可能性は十分あるよね。

O:学校でスケートボード部なんて出来たりするかもですね。

J:あり得る話だよね。

O:昔はそうじゃ無くてストリートのカッコ良さがスケボーだなんて思ってたけど、今は競技人口が増える方が色々な意味で可能性が広がるんで。

J:2020年から何か始まるだろうね。日本国内のスケボーに対するイメージが変わってパークが増えたりしたら良いよね。やっぱ滑る場所が無いから、禁止されてる公園なんかに集まって自分達の存在をアピールしたりしてたんだろうからね。

O:そうですね。だから今は街中に子供達も大人達もが滑れるスケートパークを作りたいんですよ。

親が送迎しないといけない場所じゃ無くて、親に頼らず徒歩や自転車、電車、バスなんかで滑りに来れる、コミュニケーションが取れる場所を作ってあげたいですね。

J:そうだね。

O:親が送迎してくれる裕福な子供だけしか出来ないんじゃ意味ないですからね。

スケボーなんてスケボーさえあれば誰でも出来るスポーツなんで。

J:ハングリーな子供ほど可能性に溢れてるしね。

O:好きな事に没頭出来る環境って大事じゃないですか。

J:オリンピックで競技になる事で沢山の人が目を向け出すから、見るだけじゃ無くてやってみるキッカケは必要だよな。

O:オリンピックはキッカケなだけで、俺らがこれからどう動くかが大事なわけですよね。スケボーショップを続ける事が今の俺には一番大事なわけで。

J:ここ数年で全国のスケボーショップは少なくなったもんね。

O:ほんとそうなんですよ。

J:時代や経済に左右されると思うけど、ジュリー達の情熱と行動力で頑張って欲しいな。

O:ありがとうございます。

J:もう知り合って長くなったけど、スケートカルチャー一筋でやってるのはすごいと思うし、なんだかんだで継続しているのが本当に凄いと思うな。

O:ちなみに来年の2020年で俺の店「OLLI」が10周年で、スケボー始めて30周年なんですよ、自分として節目の年なんですよね。

J:「OLLI」オープンしてもう10年経つのか、オープンの時に顔出したの覚えてるよ。

O:あっという間でしたけど、これからの5年がもっと早い気がするんで。

J:なんか良い方向に行きそうで、これからが更に楽しみやね。

O:頑張って行きますんで、よろしくお願いします(笑)

J:熊本の為っていうか、子供達の未来の為にもスケボーの伝道師として頑張ってよ。

O:ありがとうございます。

J:熊本の街の事にも絡みだしてるから、自分の事も大事だけど熊本の街の事も頑張って、熊本の顔としてもっとどんどん前に出てね。

O:そうですね!

 

J:熊本の地震後に熊本で始まった事とかはあるの?

O:街の中に活気を取り戻そうとしてる感じですかね、アーケードを見てると人の量でわかりますからね。桜町が出来たのも大きいですね、商業施設ですけど歩行者天国が出来たりしてイベントも頻繁に開催してるんで。

J:街のど真ん中だもんね。

O:施設なんで雇用の数も多いんで経済的には大きいんじゃないですかね。

J:まだまだこれから始まる事も多いだろうし、新しい熊本のスタート地点なのかもね。

O:そうですね。それぞれが何かしようとしてるのはありますよ。

でも3年過ぎて暮らしも戻って来たんで、少し落ち着いてきてますね。

J:他県からの移住者も多いんじゃないの?

O:多いですよ。関東からの移住者は多いですね。

J:時代も変わってきてる時に地震があって、熊本のこれからの変化はパワーありそうだな。

O:そうですね。

 

自分のモチベーションは全てスケボーで左右されている」

J:ジュリーにとって九州らしさとは?

O:人の良さ、温かいところですかね。

これからの時代、人に触れたり人の良さを感じる事がどんどん減って行くと思うんです。

今日もわざわざ熊本に来てくれるなんて嬉しいですもん。

J:幸せだと思う瞬間は?

スケボーしてる瞬間が一番幸せですね、スケボーって技なんかにチャレンジするじゃないですか、技が成功した瞬間は最高ですね。スケボーでチャレンジして成功したら仕事も良い方向に行くんじゃないかと思ってしまったりしてるんですよ。

自分のモチベーションは全てスケボーで左右されてるんでしょうね。

J:さすがスケートオタク!(笑)

O:スケート終わりの温泉も最高ですよ。

J:熊本の温泉最高だもんな、羨ましいよ。

O:温泉浸かりながら今日の滑りはどうだったとか考えたりするのが楽しいですね。

 

J:よしっ!温泉行って、街へ飲み行こう!!

O:行きましょ〜!

 

「話を終えて」

 

今では自らが「スケボーオタク」と自称するジュリー。

彼と知り合って15年くらいなりますが、知り合った当時と何も変わらず、少年のようにスケボーの事を話してくれる姿に、いつもスケボーへの愛と情熱をヒシヒシと感じる。

自分がスケボーにハマって、道を外れる事なく自分の店を持つまでなった事が、若い子供達への手本、目標とされる存在になってるんだと思う。

好きな事へ没頭する姿は人の心も動かしますよね。

今では熊本のストリートで兄貴的な存在になり、熊本の街への貢献もしだしてる。

熊本県スケートボード協会を数年前に立ち上げ、パークを街中へ作る事への活動も継続しており、その願いへ行政が理解を示すのもここ数年だろうなと思います。

時代も変わってきた事だし、ジュリー達のようなストリートの声が届き、子供達の未来へ続いて行く事を願います。

僕はスケボーしてないけど、海外の様にスケボーをしてる子供が街中に溢れる日が近い様な気がしますね。

これからも熊本ストリートの兄貴、顔として頑張って欲しいな。

このインタビューもジュリー達の活動へ、少しでも何かのきっかけになったら良いなと切に思います。

ジュリー、これからも応援してますよ!

 

山下宗孝

PROFILE

OLLIオーナー
奥脇 賢二さん

Qラボ編集部 ライター 山下宗孝

TEXT BY

munetaka.yamashita
Qラボ編集部 ライター 山下宗孝

18歳で福岡の古着店でアルバイトをはじめて以来、福岡の街と共に生き、福岡のカルチャーシーンに深く関わってきた、ジョニーこと山下宗孝。 数々のファッション・雑貨のセレクトショップを立ち上げる傍ら、音楽活動、飲食で店のプロデュースまで行い、最近では福岡のタウン誌に銭湯記事を連載。

Qインタビュー

− 九州で、社会の第一線で活躍する人から学ぶしあわせのカタチ −

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